2013年5月4日土曜日

大切なものはいつも一番そばにある。

http://www.positive.co.jp/kandou/contest/

感動の技術化コンテスト

ポジティブドリームパーソンズという会社の
あなたの感動をカタチにします。”という企画。

400もの応募で見事当選。


妻に送った感謝のメッセージが見事当選されて。
ホテルのスイートでhttp://www.scapes.jpのカタチを体験させてもらって6ヶ月。

その映像が届いた。http://www.positive.co.jp/kandou/contest/

毎日の忙しさに、一番大切なものを見失わないように。
素敵な贈り物が届いた。

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妻との出会いは2004年BALI、彼女がライフガードとして働いているリゾートホテルに1ヵ月の短期赴任がきっかけだった。


潮で焼けた尻までの茶色の髪をおろしてBARにいる彼女は、どこから見ても日本人には見えない装いだった。
僕は仕事をする傍ら、大好きなサーフィンが目の前で出来るBALIの環境がたまらなく好きだった。
 


毎朝、ビーチ小屋に自分のサーフボードを取りに行く中で僕らは会話をするようになった。
「今日の波はいいですね」・・・「そうね、でも午後からは悪くなるわ・・・・」
潮の流れや、風の見方などは彼女から教えてもらい、僕たちはいつしかサーフィンの話を毎日するようになった。
「ハワイに行きたいよね」・・・・「カリフォルニアは最高だったな。」「プーケットはどんな波が来るの?」
毎日、朝、サーフィンをして仕事を終えて夕方波が良ければまた、サーフィンをする。
夜はBARでその日乗った波をつまみに仲間とたわいもない話をする
彼女はいつも最後まで僕の大してうまくもないが、情熱だけは溢れる話を笑顔で聞いてくれた。
 
 
 


「付き合おうか」・・・・
 



そう言って3日後に僕の転勤先が決まった。マレーシアのジャングルの奥地のリゾートホテルだった。


 
「お互いが辛くなるから.....」
 


そう涙を浮かべて話をする彼女に僕は「大丈夫 毎日連絡するから」と根拠のない自信を彼女にぶつけた。
好きな気持ちは国境なんて関係ない。あの時僕は本気でそう思っていた。
 


マレーシアでの仕事は新しく立ち上げる大プロジェクトで僕の仕事は順調ではあるが、忙しさを極めていた。
でも彼女とBALIで別れてから僕たちは24時間空けることなくその後8カ月お互いが電話をしたりメールをしたり
手紙を書いたり、ビデオレターを送りあったりしていた。
僕の1か月の給料は全て彼女への電話とプレゼントで無くなった。いつしかBALIの彼女の部屋が僕からの「ぬいぐるみ」であふれていた。



このころから僕は、「今」という時間をとても大切にするようになった。
お金は好きなことをする為の手段としてあるだけで良い。離れて暮らす分、僕の、彼女と一緒にいたい。と思う気持ちは大きくなる一方だった。


 
3カ月がたとうとするときに彼女がマレーシアに遊びに来てくれた。僕はジャングルの中のホテルを予約して
ビーチからタクシーで1時間ゆられて島の対岸に位置するリゾートホテルへ向かった。
 
とても特別な1日だった。・・・・・・
 
 
 
 
 
「結婚しようか」
 
「・・・・」
 



涙でいっぱいになった彼女が、枕で顔を覆う。・・・・・・
 
「彼女・・・が 妻 になった」
 
お金も仕事もどうなるか分からない。でも僕は彼女とずっと一緒にいたかった。その思いが言葉となって自然と口から出た。
 
それからの彼女との電話は、「一緒に暮したら朝早起きしてサーフィンに行こう。」「じゃあ私はお弁当を作っておくわ」
「子供も海で育てたいよね」等という話であっという間に赴任の8カ月が過ぎた。



 
僕らはマウイ島で式を挙げて日本での生活が始まった。

 
仕事が仕事を呼んで経済的にも不自由が無くなったが妻と過ごす時間は擦れ違いの連続でめっきり減った。
そんな中、妻が、僕の誕生日にすごくいいところがある!と得意げにサプライズステイとして
葉山にある「Scaps]に連れて行ってくれた。・・・・・何もかもが昔に戻された思いだった。完璧だった。
海の前のホテル。照明が無くても月明かりで話が出来るそのホテルは、昔の「彼女と僕に戻れた」・・・
 
「子供が産まれても毎年ここへ来よう。」僕らが久しぶりに感じた海の風は夫婦の新しい関係を運んできてくれた。
 
子供が産まれて、海で出逢った二人だからと珊瑚の心と書いて「瑚心・ここ」と名付けた。
 

子供がいても最高のビーチライフを送る・・・・
 


言葉ではたやすいが都会の雑踏で満員電車で揺られながら、

いつの間にかあのときの僕たち、海の色や
波の感じ、朝日や夕日を海の上から見る世界ではなく、都内で多くの人達の中で過ごす毎日、
家族というよりは職場やお客様との関係が中心の毎日・・・・・

どちらも大切な毎日。そう思えるのも今までの自分を作ってくれた妻を含めた周囲の環境や人。
 
いつしか「SCAPS」で過ごす時間が現実逃避ではなく、
現実を味わい感謝出来る時間に変わるのだと思う。


僕の中ではここは、家族が離れてしまう事からの逃避「SCAPS」なのかもしれない。
それでも、このSCAPSでの僅かな時間が、今、妻であり彼女である最愛の人、そして娘を
海”とを引き合わせてくれることに変わりはない。
 

戻る場所であることを僕たちお互いが感じていられる場所が葉山にあること
家族が増えてもきっとまた「SCAPS」へ戻ってきてしまうのだと思う。・・・・
 
 
 





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